エッセイ

『SF マガジン』4月号は、同誌初の、アーティスト写真が表紙、という衝撃の“デヴィッド・ボウイ追悼特集”で、僕も「仄暗い宇宙のロックスター」を寄稿しました。

『mono モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス)2月16日号の「デヴィッド・ボウイよ永遠なれ」特集に「宇宙人ボウイの“仄暗さ”」を寄稿しました。
(2016)


◉ 星新一公式サイトの寄せ書きに参加しました。

 https://www.hoshishinichi.com

◉「ヘリオトロープとラベンダーの香り」

中学生の時、古本屋で手に入れた『別冊宝石 海外探偵小説全集』で読んで以来、約半世紀ぶりに(笑)、フィルポッツ「だれかコマドリを殺したのか?」の新訳が創元文庫から出たので、読み直してみて驚いた。

めちゃくちゃ面白い。傑作じゃないか!

同じ作者の他の作品「赤毛のレドメイン家」「闇からの声」などには衝撃を受けたのに、この作品の読後感があまり芳しくなかったのは、ひとえに僕が子供だったせいだ。
中学生に、この作品に描かれたような男女の恋愛の駆け引きや、心情の機微が、わかるはずもない。
しかも新訳の文章は素晴らしく読みやすく、百年近く前の小説とは思えないほどの、現代的エンターテインメントであることを再認識した。

フィルポッツは、古いミステリ・ファンにはつとに有名なイギリスの田園小説作家で、日本では江戸川乱歩が「赤毛のレドメイン家」を絶賛したためか、85年の『週刊文春』のミステリ・オールタイム・ベストでも上位に入っている。
しかし、『別冊宝石』の別の号に掲載された同じ作者の「怪物」の解説では、乱歩は「誰が駒鳥を殺したか?」(当時の訳題)を“大甘の恋愛小説”とこきおろしている。
 
そうだろうか?

今回の新訳で、“まるで現代日本のTVの犯罪再現ドキュメント風な、極めて現代的な文学だ”、と思った。
乱歩が批判する恋愛小説としての要素は、その後のサスペンスや謎解きに(フェアとは言い難いが)有機的に結びついており、無駄な部分ではない。

乱歩は、自身では大衆向けの“大甘”の通俗長編(ディスっているのではない。それも僕は大好だ。くれぐれも誤解なきよう)を書いているくせに、他人の作品となると、厳格な謎解きもの、いわゆる本格探偵小説(現代の用語では、本格推理小説)しか認めない、いささか狭量なところがあった。
恐らく、“恋愛”という“大甘”な要素が占める割合が大きい、というだけで、乱歩にとってはNGだったのだろう。

では、まだこの小説の良さが理解出来なかった中学生の僕は、当時、どんな小説に胸キュン(←これももはや死語の世界、笑)したか?というと、乱歩の「暗黒星」や、筒井康隆の「時をかける少女」である。

片や戦前の探偵小説、片や昭和40年代のジュヴナイル(今日のヤングアダルト)SFだが、両作品に共通しているのが、パフュームだ。そう言えば、「オペラの怪人」を書いたガストン・ルルーにも「黒衣婦人の香り」という小説があったなあ。僕の大好きだった日影丈吉の翻訳がある。閑話休題。

「暗黒星」ではヘリオトロープ、「時をかける少女」ではラベンダーの香りが効果的に使われていて、嗅いだ事のない中学男子は、一体どんな素敵な香りなのだろう?と胸をときめかせたものだ。

乱歩には「黒蜥蜴」のように、女賊黒蜥蜴が秘かに名探偵明智に恋心を抱く、という恋愛要素のある作品もあり、乱歩としては最も“大甘”なこの小説が、三島由紀夫らに高く評価され、何度も舞台化されたのは、何とも皮肉なことだ。

「時をかける少女」は、盛光社ジュニアSFの一冊として刊行された。
小学校低学年で手塚漫画にしびれ、高学年で乱歩・ポオ・ウエルズでミステリやSFにやられた僕にとって、「時をかける少女」は、それまで読み耽った作品群とはまた別の、甘美な世界への誘いとなった。
当時の“青少年SFファン”にとって、まだ“萌え”なんていう用語はなかったけど、この作品や、同じくジュニアSFに収録された光瀬龍の「夕映え作戦」や、後に萩尾望都によって漫画化された光瀬の「百億の昼と千億の夜」などには、後にアニメやヤングアダルトSFにまで脈々と伝えられて行く“萌え”の要素が、既にあったのだ。

フィルポッツの新訳の感想のつもりが、ここまで述懐がひろがってしまった(笑)。
どっとはらい。


◉<「わたしとSF」公開>

ただいま、朝日新聞のデジタル事業セクション、ブック・アサヒ・コムでは、日本SF作家クラブの50周年を記念したコラム「わたしとSF」を連載しております。
その連載に、エッセイを書きました。


<SFマガジンに評論を執筆>

2012年3月25日発売の早川書房『SFマガジン』5月号に、評論連載<現代SF 作家論シリーズ>第16回「広瀬正」を書きました。
司馬遼太郎に絶賛され、3回連続で直木賞候補になり、まさにこれから、という絶頂期に若くして亡くなってしまった広瀬の数少ない小説は、数年前に集英社文庫から全て復刊されています。


<“初音ミク”特集にエッセイを書きました>

『SFマガジン』2011年8月号(早川書房)は、何と“特集 初音ミク”です。
僕もエッセイ「しまった~または、ボカロ現象に、今からでも遅くない、SF大賞メディア部門賞を!」を書きました。


「証言!日本のロック’70s」Vol.2が発売されました!
鈴木慶一、金子マリ、石間秀機、鮎川誠、遠藤ミチロウをゲストに迎え、貴重なトーク満載です!!
(2009)

 

 


「証言!日本のロック’70s」に続いて、井上貴子編著のこの本に「ロック・キーボードの進化と変化」を書きました。青弓社のネット販売でも購入出来ます。
(2009)

 

 

井上貴子●編著
「日本でロックが熱かったころ」(青弓社)

四六判 202ページ 並製
定価1,600円+税 2009年11月 発行
ISBN978-4-7872-7275-1

輸入物のロックからジャパニーズロックへと反体制の旗印として浸透していく過程、海外アーティストへの熱狂、ライブハウスの誕生、ロック・フェスの定番化、バンドブームなど、黎明期の異様な盛り上がりから生活の一部になるまでの変遷と熱気の源を問い直す。

 


★ 評論家には任せておけない!ミュージシャンが語る70年代日本のロック」
───『証言!日本のロック70’s』(アルテスパブリッシング)ついに刊行!!
(2009)
GSとは? ニュー・ロックとは? ハード・ロックとは? プログレとは?──四人囃子、バウワウ、頭脳警察、OZ、バックスバニーなどで当時から活躍するミュージシャンたちが自ら語りあう70年代ロック・シーンの真実! 
フラワー・トラヴェリン・バンドを筆頭とする大物バンドの復活などで、このところ注目が集まる70年代日本のロック・シーン。
その実態と意義をミュージシャンたちが語り合い、ロック史を再構築する『証言!日本のロック70’s』(アルテスパブリッシング)がついに刊行されました。

 

 

難波弘之・井上貴子編
『証言!日本のロック70’s ニュー・ロック/ハード・ロック/プログレッシヴ・ロック編』
アルテスパブリッシング刊
定価¥2,100(税込)
ISBN978-4-903951-15-7

 


★ ワールドフォトプレスの季刊オーディオ雑誌「SLOW」のスローコラムにエッセイの連載を始めました。内容は音楽を中心に、割と自由に書かせてくれそうです。月刊ではないので、締め切りが三ヶ月に一回。忘れそうで恐いです(笑)。(2008.4〜)

★ 『文学』2007年7・8月号(岩波書店)特集=SFに、僕の「“SF音楽”は存在しない」が掲載されました。8月末から9月初めにかけて、横浜の“みなとみらい”で、日本初の世界SF大会(ワールドコン)が開催されるのを受けての特集です。
冒頭に巽孝之「文学にとってSFとは何か」と、4月に行われたシンポジウム「人類にとって文学とは何か」(小松左京、瀬名秀明、スーザン・J・ネイピア、巽孝之)を置き、様々な方々の論考が並ぶなか、いささか場違いな感じがありますが(笑)、ミュージシャン生活30年の総括も兼ねて、今のところの僕なりの考えを述べたつもりです。じっくり読んで頂ければ幸いです。

★ 「レコード・コレクターズ増刊/クラシック・アルバムズ 1」レココレ・アーカイヴズ(ミュージック・マガジン社)のキング・クリムゾンの項に、「哀愁を帯びた音色でロック史に名を残すヴィンテージ・キーボード、メロトロン」と「メロトロンが聴けるアルバム9選」が再録されました。いずれも′00年1月号の特集『クリムゾン・キングの宮殿』に寄せたもの。トホホなタイトルは、当時編集部が勝手に付けたものです。

★ 昨年、「モノマガジン特別編集 ハーヴェスト3」で「プログレッシヴ・ロックをもういちど」の特集を組んだワールド・フォト・プレスが、9月に新雑誌「Tom Sawyer World」を創刊します。その「トム・ソーヤー・ワールド・タイムス」というコーナーに、CD紹介風エッセイを連載する事になりました。
「普通のCD評とは異なり、別に新譜でなくてもかまわないし、 洋邦楽を問わない」という依頼が気に入りました。
雑誌のコンセプトが「宝物を見つけよう」。チョイ悪雑誌がファッション重視なので、それ以外の中年男のオタク心をくすぐるような内容になりそうです。とはいえ、雑誌の装丁や割り付けはおしゃれですよ。(2006.8.25)

★ 「イエス・ファイル」(シンコー・ミュージック)に、 「キーボーディストの変遷に見るイエス・ミュージック」という一文を寄せています。この本は、元山下達郎のマネージャーで、イタリアもののコレクターでも知られる片山伸さんと、元キーボード・マガジン編集長笹川孝司さんの企画・編集によるもので、イエス35年 ( ! )の歴史を網羅した恐ろしい本です。
-2005.9.16更新

★ 「海外スリラー特集“落とし穴と振り子”」 QJ(QuickJapan)63号 総力特集 ラジオ
好きなラジオ番組に関する短いエッセイ
-2005.12.16更新

★ 「SFマガジン」2006年1月号(11月25日発)に、レイ・ブラッドベリについてのエッセイを書いています。
「詩的な高級感漂う絵」 SFマガジン2006年1月号 レイ・ブラッドベリ特集~エッセイ 私の心のブラッドベリ(早川書房)

★ 2005年12月上旬に発売の「この美しき迷宮の悲劇」 モノ・マガジン特別編集 ハーヴェスト3 特集プログレッシブ・ロックをもういちど (ワールドフォトプレス)太田出版
-2005.11.18更新

★ また、2005年10月末発売の「キーボード・マガジン」モーグ博士追悼特集にコメントを寄せています。
-2005.10.6更新

★ 「ワイルド・サイケを行こう!イケてればOK ー ロックやポップスの和声学」
『21世紀の音楽入門6/和声ー音色を彩るもの』教育芸術社(ISBN4-87788-257-X C3073)
これまでリズム、声、踊りなどテーマ特集出してきたユニークなシリーズの6号目。
なぜか僕が表紙になってしまいました。
-2005.4.26更新

★ 『キーボードの変遷とEL&P』(ストレンジデイズ 2005年3月号)
エマーソン、レイク&パーマー特集号に寄せた一文です。なお、文中“モーグ 博士が巨大なシステムと格闘しているキッズを見て”とあるのは“キース”の誤りです。(校正で見落とした私が悪い)

★ 「ユーロピアン・プログレッシヴ・ロック」
厳選したユーロ・プログレの名盤を500枚以上収録したディスク・ガイド。難波はコメントを寄稿。監修は元・山下達郎氏のマネージャーで知る人ぞ知るプログレ評論家 ・片山 伸 氏。
シンコーより2004年6月11日発売
-2004.5.17更新

★ 『グイン・サーガ、ハンドブック』(早川書房編集部編/栗本薫監修/早川JA文庫)
グイン・サーガ100巻達成の記念出版です。お祝いの言葉を寄せています。
-2005.4.11更新

★ 『マイ・ソウル・ファーザー、手塚治虫』(『ビッグX』第3巻/秋田文庫)
手塚治虫の『ビッグX』第3巻の解説です。解説というより、エッセイです。2004年

★ 「ロボット・オペラ」という「パラサイト・イヴ」の作者・瀬名秀明さん編のロボット・アンソロジーに「ロボットと音楽」というエッセイを執筆。2004年6月18日、光文社から刊行。
-2004.5.11更新

★ 「ルードヴィヒを使うなんて!」→「キネ旬ムック/フィルムメーカーズ・ スタンリー・キューブリック」(キネマ旬報社 ’99年10月刊)
いまだに手書き原稿のため、またもや誤植でタイトルが「ルートヴィヒ」になっていて悲しい。

★ 「哀愁を帯びた音色でロック史に名を残すヴィンテージ・キーボード、メロトロン」
「メロトロンが聴けるアルバム9選」→「レコード・コレクターズ」 ’00年1月号(ミュージック・マガジン社)
特集『クリムゾン・キングの宮殿』に寄せたもの。トホホなタイトルは、編集部が勝手に付けたもの

★ 第20回日本SF大賞&特別賞」選評→「SF Japan」(徳間書店 ’99年3月)
特別賞受賞の光瀬龍氏について

★ 「面白本捜査線/旬の本「昭和時代回想」」→ダカーポ 442(’00年4月5日)号
マガジンハウス

★ 「面白本捜査線/旬の本「月の裏側」」→ダカーポ 446(’00年6月7日)号
マガジンハウス
皆さんご存じ、校正ミスで僕の名前がすべて難波利之にされてしまったことへのお詫び(?)で始まった書評シリーズ。ことの顛末はすべてネタにしています(442号で)。446号のプロフィールのところの“地震のバンド”も、是非、次回のネタに使わせてもらおうと思います。それにしても、ゲラ校のときに「変換ミスがありますよ」と指摘したら「あ、わかってます」との返事。難波利之の時と同じで、結構トロい。
まあ、僕がいまだに原稿用紙に書いてるからいけないんでしょうが。ちなみに、もちろん譜面も手書きです!

★ 「常識ある奇想の持ち主 ジョ-ジ・マーティン」→「レコード・コレクターズ増刊/ザ・ビートルズ ’65~’67 コンプリート・ワークス・」(ミュージック・マガジン社 ’00年1月 ※再録です)