Essay

 この度、巽孝之氏により、高校時代の恐ろしく背伸びした作文を発掘されてしまった。恐る恐る読み返してみたら、やはり“やぶれかぶれの教養主義”丸出しの、まさに赤面ものの文章であった。
 これは恐らく、だいぶ以前に「SFアドベンチャー」に書いた私の小説「青春小説、または文学する若き難波、音楽する若き巽」に対する、巽氏側からの時間砲(by豊田有恒)による報復攻撃であろうと察せられる。
 これはどちらも恥ずかしい過去の暴露であるから、お笑い芸人がお互いの私生活を犠牲に暴露し合うのに似ている。しかし、芸人さんの方が、遥かに暴露しがいのある実入りであるのがちょっと悔しいが(笑)。
 ここに書かれたことはほとんど事実であるが、少しの嘘もある。
 それは、マイルスとハインラインに関する叙述の部分である。
 実は、エレクトリックになったマイルスは大好きであった。むしろ、「ジャズを裏切った」「もう聞く価値はない」と断じたジャズ評論家やマニアに反発を感じていたほどだった。何故ならば、それらの作品に、マイルスのロックに対する自由な精神を感じたからだ。
 ハインラインに関しても、そんなに好きではないにしろ、何もここまでひどく書くことはないだろうに(笑)、と思った。だって私は「SFハンドブック」で「夏への扉」の解説を書いていますもの。まあ、あれが最高傑作だと思っていて、あとはあまり好きな作品がないことは認めるが。
 やはりロックと同じで、アメリカンなハインラインよりも、ブリティッシュなクラークの方が好きだった。
 正直言ってこれらは、ほとんど山野浩一(「NW-SF」の編集長で作家。日本のニューウエーブ運動の旗手)さんの受け売りだったと思う。
 それほど、当時の山野さんにはカリスマ的な魅力があり、その考え方や思想には、惹かれるものが多かったのだ。
 誤解を恐れずに言えば、当時の山野さんのNW-SFの編集室は、まるで後のオウム真理教のようだったのかもしれない。そこには、他には絶対にあり得ない、他では絶対に味わえない独自の世界があった。すっかり忘れていたけれど(笑)、今にして思うと、これは当時のNW-SFの雰囲気を書き記した貴重な記録なのかもしれない。
 告白すると、この文章には、当時の“時代の気分”が色濃く滲み出ている。
 高校生だった私でさえ、70年安保で挫折した先輩たちに、よくオルグされた。「ブルジョワの手先である手塚の漫画は読むな。」「今はロックなどで浮かれている場合ではない、清水谷公園に結集せよ!」などと叫ばれ、正直言ってちょっとうざかった。
 しかし、“反抗的で、とにかくすべての価値観を疑う”という精神だけは、体のどこかに秘かに注入されてしまっていたようだ。
 軟弱豚野郎だった私にとってのニューウエーブは、実はそんなにラジカルなものではなかった。だって、好きな小説は「ヴァーミリオン・サンズ」「地球の長い午後」「プリズナー」だったんですもの(爆)。
 でも、NW-SFには、何故かこんな軟弱豚野郎でも通いたくなる磁力があったのだ。
 そして、今でも覚えている。ゲストに呼ばれた柴野さんが、頑固と思えるほど自説を曲げず、むしろ他の“いかにもそれらしい”ゲストより遥かにかっこ良かったことを!そしてそれに山野さんがとても嬉しそうに応対しておられたことを!!
 ところで、ここからは言い訳になるが、「他で語ってはいけないルールだったのに、軽々しく書くとは、けしからん奴だ」と思われたかもしれない。「ファンジンではなく学内誌だったら、誰も関係者は読んでいないし、良いだろう」と思って書いたのである。しかし、実際には巽氏に読まれて、こうして公になってしまったので、けしからん奴であることは確かである。山野さん、どうぞ時効と思ってお許し下さい。
 サゲですが、三島に対する考え方だけは、今でもそんなに変わっておりませんでした(笑)、ちゃん、ちゃん。
 以下は当時の本文です。

 

『三島の死とスペキュレティヴ・フィクション』
 
                         難波弘之
 
 昨日、「スペキュレディヴ・フィクションを語る会」というのに出席した。じつは、こういうことを書いてはいけない会なのである。――というのは読むにつれて理解いただけると思う。
 この会は今までSFとよばれていたサイエンス・フィクション(邦訳・空想科学小説)に対する一つのアンチ・テーゼとして、ノーワンダー(今までのSFはセンスオヴワンダー)、ニューウェーヴ(それはSFの新しい波とよばれているため)、ニューワールド(文字通り新世界という意味であるが、ニューウェーヴの作家が育った英国の高級誌の名前をとったもの)を主張する雑誌「NW-SF」のスタッフ等十人によって行われた。彼らの主張は、今までのSFはくだらない通俗的なものが殆んどで、精神的ショックを与えるのにとぼしく、一般文学界から子供の読物と決めつけられるのももっともである――というもので、センスやアイデアばかりにたよった既製SFにかわって、これからはSFをスペキュレティヴ・フィクションと考えよう――という主張である。スペキュレティヴ・フィクションを訳すと「思弁小説」「瞑想小説」となるが、要するに日常性をゆがめたマリワナやLSDのシュールな幻想世界・人間の精神の内宇宙[インナースペース]を指向した小説のことである。
 この会には奇妙(とたいていの人なら考える)ルールがある。一、あたりまえであることについてはのべない。わからないことについてだけのべる。一、人の名前を呼んだり、人の発言中に口をはさみ、あるいは対話形式になってはならない。原則として“青い服を着ている人”とか“めがねをかけたひげを生やした人”とかいうよび方をする。一、難解であることに対し抗議しない。一、いかなる記録、宣言、決議もとらない。カメラ、テープなどは持ち込み禁止。したがって、今僕がこの会のことを書いているのはルール破りなのである。なぜならば誰彼の発言に際しても閉会後は責任をとらなくてよいという最後のルールにも反しているからである。
 この会では、SFの新しい波についての思弁活動がもたらされた訳であるが、そこにおいて問題にされたのは、作家の内宇宙の日常性への拡大ということである。当然、自己の内宇宙を日常にさらけ出しそれをゆがめた三島由紀夫についても話した人がいた。
 三島由紀夫は昔からSFファンを自認していた。(もちろん、三島のいう“SF”とは、彼らに言わせると“古いSF”のことである)自分でも「美しい星」(雑誌「新潮」昭和三十七年連載のち新潮社より単行本となり、四十二年には新潮文庫にもはいった)という空飛ぶ円盤(科学的には未確認飛行物体、略称UFO)や宇宙人を扱ったディスカッション小説(と奥野健男は評している)で、「美」について書いている。
 三島由紀夫は確かに日常性の連続に大いなる衝撃を与えた。では、彼の行為は作家としての内宇宙の発露であろうか?彼の文学は果して内宇宙の発露であろうか?
 毎朝、ごはんとみそ汁を常食している男がいる。ところがある日突然彼はパンとミルクで朝食をとった。これはその男にとっては日常性をゆがめたことになるかもしれないが、本質的には変わっていないということを、その男以外のたいていの人なら思うであろう。ただ、みそ汁がミルクに変わり、ごはんがパンに変わっただけで、その男が「食事」という日常的作業をしたにすぎないからである。これは、目先が変わっただけのことで、馬をロケットに変え、舞台を西部から宇宙に変えただけの、くだらないSFと同じことである。もちろん、その小説は面白いかもしれないが、別にSFにしなくても西部劇ですむわけである。またそういうものを面白いと感じるのは我々がふだんからもっとも通俗的なテレビドラマなどに慣らされてしまって目先が変わったくらいでだまされてすぐとびつくからである。(ちなみに僕はそのだまされたクチで、世界で一番面白いドラマは「ルーシー・ショー」と「奥様は十八歳」であると信じている。)むしろ、スペキュレティヴ・フィクションは日常的なものを扱っても、それをいかに狂気的に変えるかという点に重きがおかれるべきであろう。だからたとえば俳優は浅丘ルリ子や関口宏でもいいわけである。それをつかっていかに精神宇宙を拡大せしめるかが問題なのである。ジャズで言えば、ロックをぜったいにうけつけないセロニアス・モンクが自己の世界を持ち守りつづけているのに対し、マイルス・デイビスがロックをとりいれてもあいかわらず十年前と同じことをバックだけ変えてやっているようなことである。マイルスも十年前の姿勢を保ったほうが良かったと思う。閑話休題。
 三島由紀夫は、自己の精神宇宙で日常に狂気を持ちこんだ。それは文学とか芸術とかいう娯楽的なものではなく、政治とか思想――というよりも彼の場合は彼自身の内宇宙から発露した美意識の対象がたまたま政治であったといった方がより正確かもしれない――とかいう真剣なものであったという違いはある。が、手段はともかくとしても日常生活にショックを、また問題をなげだした点ではかわりない。しかし、彼自身の内宇宙の内容はおしむらくも、ごくつまらないものであり、くだらないものであったと言わざるを得ない。ちょうどロバート・A・ハインライン(著名なアメリカのSF作家。「夏への扉」「人形使い」「宇宙の戦士」「異星の客」「地球の緑の丘」などの作品があるが、最近では右翼反動であるという非難もある。とくに「宇宙の戦士」をめぐって米国や日本でファシズム論争がおこった)のSFが、実にくだらない貧弱な彼の精神内宇宙と、思想ともよべないような内容の思想のため、本が厚くファンも多いかわりに嫌いな人(もちろん“新しい波”をめざす人々)の多いのと同じように。ハインラインは力作を書けば書くだけ陳腐で通俗的になってゆく作家のようである。三島は、決して通俗的ではないが、文章の華麗さのわりに内容は古くからのくり返しにすぎない。(言ってしまうと、文章そのものも)ただし、ハインラインよりはいくぶんましで、内宇宙を作為的に「美」に再構成しようとしている。三島の小説の殆んどはその再構成のみに力を入れすぎ、整いすぎたきらいがある。ウインドウに飾られたさもおいしそうなロウ細工のごちそうのようで、実際に出てくる食事とは大ちがいなのである。通俗小説やテレビドラマの大半はやりそうなこと、書きそうなことがわかってしまっている。つまり地平線がミエミエなのだ。今までのSFの半分は地平線がミエミエであるといってよい。
 日常生活にどっぷりつかっている我々に、テレビはさらにホームドラマを見せようとするのである。そこではわれわれと同じような家庭で俳優が我々と同じような生活を送り騒動をおこしたりしている。必ずといっていいくらい縁談が出てくる。たいていものわかりのいいおとうさんかおこりんぼのおとうさんがでてきて、ちょっとトンマな息子がいる。…こういうものを見つけていると、つまらないものでも面白く感じてくるからこわい。すでに僕も君もあなたもその患者のひとである。つまらぬたいくつな女の一生を書いた小説などが最高峰であるとされている今日にこそ、スペキュレティヴな芸術が必要なのである。「サインはV」とか「柔道一直線」とか「ウルトラマン」とかに夢中になるようではいけないのだ。このようなパターン化されたドラマは、我々の思考をパターン化し、誰も彼も同じようになってしまうのだ。地平線ミエミエ同志になってしまうのだ。
 もちろん、面白ければなんでもいい、変わっていればなんでもいいというわけではない。そこには当然まじめさが要求される。ハインラインが自分のつまらぬ作品を今だに本気で書いているというのは大変なふまじめさである。日本の作家の殆んどが似たりよったりの――最近はなんとまあわがSF作家までも墜落しかけているとは!――面白くはあるけれどくだらないものを書いている。これもかなりふまじめな態度と言わなければならない。
 ぼくが三島由紀夫に注目する(決して支持するのではない)ただ一つの点といえば、彼の美意識であろう。三島は探偵小説は嫌いだがSFは好きであると言っている。探偵小説(当節はハイカラに推理小説とかミステリとかいうようであるが、ミステリというと広義にサスペンスものからロマンチック・スリラー・エスピオナージまで含んでしまう。僕は探偵小説という大正、昭和初期のいい方を好んで用いるのは、謎解きの本格味あるあのなんとも言えぬ醍醐味を愛しているからである)ではエラリー・クイーンの傑作「Yの悲劇」を、探偵が恐ろしくキザで鼻持ちならなく作風も肌に合わぬと三島らしい感想をもらしている。ところが彼は江戸川乱歩にだけは共鳴していたようである。
 その証拠として彼は乱歩の「黒蜥蜴」を子供のころ読んでいたのを記憶していて戦後婦人雑誌に脚本を発表している。(現在は単行本になっている)これはのちに劇として二回、映画として一回とりあげられている。一番最近では丸山明宏が黒蜥蜴に扮し、三島もその肉体美を女怪人黒蜥蜴の悪魔の剥製展示室で見せている。女賊黒蜥蜴は、若者の肉体美を永遠に残すためと称し次々と美男美女に触手をのばす。そして剥製にしてしまうのである。これは恐らく蝋人形以上のオカルティズムである。三島の「美学」とどこか共通点があるような気がする。もちろん、若者の肉体が美しいからといって人を殺してよいはずがない。日常生活の常識では考えられない狂気の美学と言わねばならない。彼のいだいていた幻想――祖国日本への叶わぬ夢と天皇への異常な崇拝――が狂気に近く、もはや右翼とかそんなものではなく、それを越えたむしろ芸術の領域に近い狂気に近かったことに、もし彼が一度でも気がついていたならば、もっと早く死んでいたはずであるが。彼の美学は、いかに乱歩が再評価され、女装の美少年ピーターが現れようとも、日常生活にまかり通るものではないのだ。日常生活はホームドラマは、それをくいとめてしまう。狂気には限界がある。三島はこれに気づいていない。頭はいいが、カンの鈍い人間であったと言わねばならない。あるいは気づいていたが、あきらめきれなかったか。三島はそこいらへんの右翼(こんなことを書いてはそこいらへんの右翼に悪いが……)とはハッキリ一線を引いて区別されてしかるべきなのである。むしろ赤軍派などの極左(実は新聞にそう書いてあるのをごく日常的にふまじめにうのみにしているので、今ごろは全部赤軍派は私服警官が化けていて、警官が全部赤軍派になっているのかもしれない)に行動の点では近い。しかし、赤軍派に江戸川乱歩の美学がわかるはずがない。したがってそれともまたちがう。
 つまり、日常性をゆがめるゆがめると今まで簡単そうに書いてきたが、実は大変なことなのである。一番理想的な状態は気が狂ったとか精神がおかしいとか一般的にはよばれる状態である。しかし、これは当事者以外が見て面白い(ちょっとひどい表現であるが)のであって、まじめに気が狂っている当人にしてみれば、面白がって自分を見たり、こわがって自分を見たりする正常人が、非常にふまじめに見えるだろう。マリワナやLSDのシュールな幻想世界はこの逆の作用である。マリワナやLSDを使う者は、これからはいる世界が幻想世界であることを知っているのだから。しかし酒やタバコより害がないと言われながらも、まだ安全とはいえないマリワナを服用するわけにはちょっといかない。
 そこでSFの“新しい波”の人々は、ヒッピーがマリワナに求める精神的ショックをスペキュレティヴ・フィクションの興奮に求めるのである。その点で、三島のように純粋に幻想を作為し、そしてそれを狂信するのが最も理想的であるといえるが、それでは常日頃から狂っていることが必要になってくるので容易ではない。まして他人に危害を加えるとなると、日常生活の常識にどっぷりつかっている我々としては、それを認めるわけにはいかない。つねひごろから狂っていると、どれが精神的ショックかわからなくなってしまい、それそのものが日常性になってしまうので他人への害を加えやすくなり危険である。話題となった女優シャロン・テート殺しのヒッピーたちや、ベトナム戦争で神経がマヒしておこるさまざまな残虐行為を見れば一目瞭然であろう。
 だからこそ安全なスペキュレティヴ・フィクションを!ニュー・ロックの狂熱を!ジャズを!僕の場合はバッハのオルガン曲や、ドストエフスキーを!――我々は指向する。
 江戸川乱歩の愛したことばである。
“うつし世はゆめ 夜のゆめこそまこと”
 
 
 最後につけ加えるならば、これだけ日常性を攻撃しながらも、結局は「奥様は十八歳」とか「コント55号のおとぼけ人間学」にチャンネルをこれからもあわせ、とるに足りぬことでケンカをし、女の子のことで親に誤解され、かわいい僕のメリーちゃん(筆者註残念ながら西洋少女ではなくメス犬)にペロペロなめられ、日常生活はけっこう正常に進行するのだ。
 
                 (一九七一年一月一六日)
 
           学習院高等科 雑誌 「高等科」 8号掲載


 

実に久々に3月26日(土)テレビ朝日「朝まで生テレビ・・・激論、オウム・連合赤軍は終わらない?」を見て、色々と考え込んでしまいました。それは“衆愚”ということです。かつてこの番組によく出演していた学者がよく使っていた言葉ですが、政治の世界で言われる“ポピュリズム”と通じるものだと解釈しています。(間違っていたらごめんなさい)。民主主義の社会では、すべての人が参政権を持つことにより 議会へ送り出す議員を選出する。しかしマスコミが発達した今日の情報化社会では、政策や人柄よりも、イメージの方が先行してしまう。自分のイメージをよりよく見せ、大衆にアピールした者が勝つ・・・という事実は、アメリカの大統領選や、就任時の小泉首相を見れば一目瞭然でしょう。
 
 この日、僕は視聴者からの反応に“衆愚”を見てしまいました。確かにかつてこの番組は、ディベート(討論)番組と言いながらも、興奮した出席者同士が人の発言をさえぎって同時に何人もがわめき散らし大ゲンカする・・・というのが売り物になっていました。しかし、この日は妙に静かでした。元新左翼、新右翼、刑法学者など、明らかに立場の異なるスリリングな顔ぶれが揃っていたにもかかわらず・・・です。それはいみじくも出席者のひとりが言った“今の日本の思想的な凪状態”を意味しているのかもしれません。
 この日は司会者が、スペインでのテロやイスラエルの攻撃(「これもテロです」と言い切っていました)を受け、先日教祖に死刑判決が下ったオウム真理教のテロと、さらにかつて日本中を震撼させた連合赤軍浅間山荘事件の意味を探る・・・と、その日の討論の意味をきちんと冒頭で説明しました。オウムが“ポア”の名の下に行った拉致殺人やサリン事件、そして赤軍が“総括”の名の下に行った連続殺人、そこまでひどいことを行うに至った原因や動機の解明は、いくら知識人が寄り集まってあーたらこーたら論評しても、決して明らかになることはありません。しかし、その日はちょっと違いました。まさに当事者・・・元連合赤軍兵士が出席していたのです。27年ぶりに社会復帰し、今は飲食店を経営している・・・というその元赤軍兵士は、スキンヘッドの堂々たる体躯の持ち主で、目つきにこそ修羅を見た者の鋭さを持っているものの、時折笑顔を見せながら、かつて自分がしたことに真剣に向き合っていました。「なぜあんなリンチ殺人をしたのか?」という質問に、「兵士だから死を覚悟していた。自己変革・自己批判ができていないということで、そういう弱い者を強くする目的で行っていた」と、確かにオウムの“ポア”に似た理屈を語っていました。また、武装化した理由も、「とにかく機動隊が強くて、これはもうこちらも軍にならなければ駄目だと思った」と述べています。そして、オウムも赤軍も、最初は個人の純粋な動機・・・すなわち社会に対する不満や、自己に対する疑問からスタートしているのです。しかし、「視聴者から、被害者のことを考えていない、という抗議電話が殺到している」と司会者が言うと、出席者のひとりが「ほらね、やっぱりこういう話をしていると非難されるんだよ」ぼやきました。僕は見ていて、そこでもう一度“衆愚”丸出しの視聴者に、根気よく説明すべきではなかったのか・・・と感じたのです。

 恐らく視聴者は、元赤軍兵士の笑顔を見て、教祖の法廷での態度を思い出し、さらには「そんなひどいことをやった奴をなぜ呼ぶのだ」と思ったに違いありません。
 僕は日本の社会は実はリンチ社会だ・・・と思っています。たとえば、何か事件が起きると、その被害者や加害者、被害者の家族に嫌がらせが集中し、プライバシーが暴かれます。そして気まぐれな“衆愚”はそんなひどいことをしたことをすぐに忘れ、次の話題に移ります。このような番組がないと、論壇を除いては、世間では話題にされなくなってしまうのです。
 この日の視聴者からの反応も「オウムは解散させるべきだ」「破防法を適用させるべきだった」といった単純なものがほとんどでした。それでは「テロはなくすべきだ。戦争はなくすべきだ」と言っているのと同じです。悲しいことに人間は愚かで、ひどいことも沢山してしまう。宗教団体だって、“十字軍”や“聖戦(ジハード)”の 名の下に軍を持ち戦をしています。そのような“愚かな人間”から目をそらさずに、真剣に考えること・・・これが今の日本社会に最も不足していることなのではないか、と思うのです。単に「けしからん」だけではすまされないのです。「自分たちには、体制を破壊した後のビジョンがなかった。赤軍は間違っていた。」と、彼ははっきり発言しました。そしてまた何人かの論者が「戦前の日本と戦後の日本の両時代を生きた人間は、価値観ががらっと正反対になる空しさを感じてしまい、相対主義に走った。左翼運動や新左翼運動の敗北後の80年代にはさらにそれがひどくなり、社会の ことはもう何も考えない。考えたくもないし、考えたって仕方がない。楽しければいい・・・という思考停止、思想的“凪”状態が出現してしまった」と述べていまし た。「その責任はあの時代にある」とも。
 確かにこの世には、論じても詮もないことに満ちています。しかし、すべてを丸投げにしてしまっては、思想も学問も芸術もみな空洞化するでしょう。久しぶりに、きちんとした内容の討論番組を見た思いがしました。
 
 最近思うのは、完全な正義や完全な悪は、光と闇のようには存在しない・・・とい うことです。自分はひょっとしたら間違っているのかもしれない・・・という想像力 のない人が、絶対主義を振りかざせるのでしょう。ということで、僕も相対主義の落 とし穴にはまってしまったのでしょうか。詮もないことでも、考え続けることだけは 続けたいと思います。