アマチュア時代

 グループ・サウンズを聴いたときは「わぁ、こんなものがあるんだ…。」とびっくりしました。そしていきなり、サイケデリック、ニューロック、アートロック、プログレ…とロックに走ってしまったわけです。悪友が「バンドやろうや」ということで、高校1年のときにアマチュアのバンドを組んだのが始まりでした。神田の古本屋、古レコード屋や楽器店に出入りするオタクでした。

 当時、最先端の音楽というと、ディープ・パープルや、レッド・ツェッペリンの1枚目が出たりしていた頃でしたから(年齢がバレますが…)、バンドでやっていたコピーもバニラ・ファッジとかジェスロ・タルとか、フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションとか、マウンテン、ザ・バンドとか…。当時のロックファンでも、相当な通でないと知らないような音楽をやって得意になっていました。そしてまた、ジャズ、ボサノバ、ソウル系を聴き出したのもこの頃です。今でいうフュージョン系のバンドと、ロック系のバンドを2つ掛け持ちで、大学時代までずっと続けていました。

 勉強そっちのけでバンドをやっていた大学時代には、ヤマハの人から「君、うまいからキーボード・プレイヤーにならないか?」と誘われたり、また大村憲司や村上“ポンタ”秀一などがバックをやっていた赤い鳥という、フォークバンドなのに間奏でいきなり4ビートになったりするちょっと変わったバンドでキーボードを捜しているから、と誘われたりしました。でも、大学時代はサラリーマンになるつもりだったので、はっきりした返事をしないまま時が過ぎていきました。そのうちに、今でも活躍している笹塚の“ジョージ”という、とても変わったPAの人に「いいねぇ」といわれ、その後その人のところに出入りするようになったのです。そこには、シュガーベイブの頃の山下達郎や、山下洋輔などの音楽事務所がありました。その後、下北沢に金子マリというすごい女性ヴォーカルがいて、ギタリストのCharとスモーキー・メディスンというバンドをやっていると聞きました。偶然、僕は学園祭のステージでEL&Pなどをやっているときに、当時デビューしたばかりのアイドル太田裕美のバックで、金子マリと、今カシオペアのベーシストの鳴瀬喜博、ギタリストの中島正雄(今はビーイングの社長になってしまいましたが…)などがやってきたのです。そこで僕は、鳴瀬に声をかけられたのです。