「心地良く聴ける“家具としての音楽”を選んで下さい」と頼まれ、困ってしまった。
私がレコード会社の社員か音楽ライターだったら、そこそこお洒落なセレクトが出来たかもしれないが、あいにく私はミュージシャンである。自分も含め、音楽家の根性の悪さを知り抜いている。
世の中に、エリック・サティのような変わり者の音楽家は少ない。あ、この表現は、正確さを欠きますね。
もとい、エリック・サティのように、自分の曲を「あまり真剣に聴かれたくない」なんていう変わった考えを持つ音楽家は少ない、と書くべきでした。
自己顕示欲のかたまりのような音楽家ばかりの中から、爽やかで聴き心地の良い音楽を探すのは、至難の業である。
ここに選んだ8枚は、いずれも極上の楽曲とサウンドだし、口当たりも良いはずである。
でも、その中に多少の“毒”があったらごめんなさい。責任はすべて音楽家にあります。
「ばらに降る雨」エリス・レジーナ&アントニオ・カルロス・ジョビン
ボサノバを初めて聴いたのは、高一の時だった。昭和43年、1968年である。GS(グループ・サウンズ)のブームがあっという間に終わり、日本のロックが“夜明け前”を迎えていた頃だ。
GSがカヴァーしていたサイケデリック・ロックの影響をもろに受け、僕は同級生と初めてバンドを組んだ。
ところが、当時は今と違って、町中に練習スタジオなどほとんどなかったし、ギター・アンプやドラムなどの楽器も高嶺の花だった。
そこで、金持ちのぼんをメンバーに加えた(笑)。彼は郊外の広い屋敷に住み、自分の部屋はもちろん、何とスタジオまで持っており、オルガンやアンプも揃っていた。
僕らは、彼の屋敷に泊まり込んで練習した。そのとき、熱帯魚の水槽のある豪華なオーディオ・ルームで、聴いた事のないお洒落な音楽を聴いた。それがボサノバだった。
まさに“家具としての音楽”の記憶である。
「ワルツ・フォー・デビー」ビル・エヴァンス
バンドを組んだ友人の中に、ジャズ・ファンがいた。オスカー・ピーターソンや、ビル・エヴァンスのレコードを借りて聴いた。
レコードは月一枚買うのがやっとの小遣いだったので、僕はロックのレコードを中心に買い、友人とよく貸し借りをした。
音楽がデータでやり取り出来るようになるなんて、夢にも思わなかった牧歌的な時代である。
そして黒人と白人では、音楽のセンスや表現が異なることに気付いた。どちらも魅力的だった。
ビル・エヴァンスのこの曲を聴いた時に、「何て美しい曲だろう」と思った。
ジャズとかクラシックとか、ジャンルなんか関係なしに、良いものは良い、と確信した。
ピアノはその柔らかな音色で、“家具としての音楽”になり得る楽器である。
他には、キース・ジャレットのソロ・ピアノも、音楽家が聴くとその技巧に戦慄するが、聴くだけなら耳に優しくて、お奨めである。
「ソング・サイクル」ヴァン・ダイク・パークス
歴史的名盤!などと言われていても、実は誰もちゃんと聴いたことがない音楽(笑)というのが、この世には存在する(同じように、たとえ百万枚売れていても、友人の誰ひとりとして持っていないアルバム、というのもありますが…..)。
ビートルズの「サージェント・ペパーズ」と並ぶ“奇想の名盤”と言われながらも、これも、かつてはまさに、そのような一枚だった。
ヴァン・ダイク・パークスは、アメリカのソング・ライター/プロデューサーである。このアルバムがリリースされたのは、「サージェント・ペパーズ」の翌年、67年だったが、仕事が裏方だったせいか名前が浸透しておらず、一部のマニアが騒いだだけで、売れなかった。
どうか虚心になって、このアルバムの音を聴いてみて頂きたい。難しいことはさておいても、心地良い世界が部屋に広がることは請け合う。
音楽はマニアだけのものではない。
「イブニング・スター」フリップ&イーノ
最初の3曲は、まず問題なく“家具としての音楽”にふさわしいく聴けるだろうが、4曲目からは、少し不穏な雰囲気が漂う。
プログレッシヴ・ロック界のカリスマ・ギタリストとして君臨するキング・クリムゾンのロバート・フリップと、ブライアン・フェリーのロキシー・ミュージックにいたキーボードのブライアン・イーノとのコラボレーションであるこの作品は、その後流行した環境音楽/ニューエイジ/癒し系などの“元祖”と言えよう。
気難しく偏屈で厳格なイギリス人ギタリストと、現代音楽に接近した仕掛人とのコンビは、今なお“旬”が続く奇蹟の音を生み出した。
そういう意味では、ロック系のミュージシャンのこの作品や、初期のピンク・フロイドのサウンドこそ、エリック・サティの直系の子孫だった、と言えるかもしれない。
後半の不気味な和音は、“素直に展開出来ないイギリス人の癖”と解して下さい(笑)。
「ジュリエット・レターズ」エルヴィス・コステロ/ブロドスキー・クァルテット
ロックンローラーも、歳を取るとスタンダードを歌いたがる。自分の歌が如何に上手いか、を手っ取り早く示すには、スタンダードが有効だからだろう、という意地悪な見方をしてしまう私ですが、何か?
しかし、ロックンローラーよりもさらに性格の悪そうなクラシックの連中とコラボしようなんていう根性のある奴は、そうざらにはいない。
で、その“根性のある”ロックンローラーの代表が、エルヴィス・コステロである。
クラシック界では結構有名なこのクァルテットとは、何故か親しいらしい。その辺に、お互いの懐の深さを感じる。
後にはやっぱりスタンダードを歌って、日本のTVドラマのエンディング・テーマにもなったコステロだが、少なくともこのアルバムの頃までは、堂々、オリジナルで勝負している。
素晴らしいアルバムです。
ビョーク「Gling-Glo」
ピアノ・トリオをバックにした歌ものとはいえ、その特徴ある声で、すぐにビョークとわかる。歌い方も強烈で、ヘッドホンで聴くと、息を吸う音までリアルに聴こえる。果たしてこれが“家具としての音楽”にふさわしいかどうかは微妙だが、聴いていてとても心地良いことだけは請け合う。
ソロ・デビュー前の、シュガー・キューブというバンドのヴォーカルだった頃の作品だが、古くからの友人のジャズ・トリオと、たった二日間(ジャズの録音では普通のことだが)でレコーディングしたという。
しかも、日本の女性ジャズ・シンガーの定番(笑)、ジャズ・ファンなら誰でも知っているようなアメリカのスタンダード(映画の主題歌など)のカヴァーではない。あくまでも、自分の国の曲に拘っているようだ。料理の仕方はジャズなのだが、そこが民族音楽などにも通じる独特なテイストになっており、すこぶる面白い。
XTC「アップル・ヴィーナス」VOLUME1
結局、“家具になる音楽”なんて、存在するのかどうか、わからなくなってきた(笑)。しかし、本当に優れた音楽というものは、たとえ音楽に関心のない人が聴いても、邪魔にならないどころか、下手をすると心地良くさせ、あまつさえ、その記憶の中に何某(なにがし)かの印象を刻印してしまったりもするから恐ろしい。
XTCのこのアルバムはポップだが、魔術的なサウンドで人を虜にする。後期ビートルズと同様、ライブをやらなくなり、スタジオで制作するようになってからのアルバムである。しかも、バンドですらなくなって、デュオになってしまった。
しかし、ここに収められた曲、そしてアレンジの、何と気持ち良いことだろう!
決して素直ではない、むしろ偏屈なイギリス人の、ねじれたサウンドへのアプローチが、こんなにものの見事に成功している例をあまり知らない。“家具”にして下さい!
「 e 」A.P.J.
最後にさりげなく(いや、大っぴらですね)自分の作品を入れるところが、私の意地汚さである。
これは、私がいくつか組んでいるバンドやユニットの中で、最も音が小さくて人畜無害と思われるピアノ・トリオの作品。アコースティック・プログレッシヴ・ジャズという大仰なフル・ネームは、ベースの水野正敏が考えた。
私はどちらかというとロック~ポップス畑のキーボード・プレイヤーなので、“何ちゃってジャズ”しか弾けないと言っているのに、無理矢理誘われて結成した。
ジャズは難解な音楽なので、自分らしさを出すために、ジャズが苦手な人でも聴けるような“楽曲重視”という新しい方向を模索してみた。
お奨めは「クラゲ注意報」という曲で、越前クラゲなどの異常繁殖で危機に陥っている日本の漁業に対する応援歌です。